生=再生・進化 ― 折れたからこそ強くなる

「終わり」とは、誰が決めたのだろう。
死が“完成”だと信じた瞬間、私達は成長の呼吸を止めてしまう。
けれど、生とはもっと静かで、もっと狂おしい営みで…
生きることは、完成を拒むこと…
崩れながら、また立ち上がりながら、
そのたびに形を変えていく──“未完の美学”です。
心理学的に見れば、人は死ぬ度に生まれ変わっている。
それは肉体の死ではなく、心の小さな死。
信じていた価値観が崩れ、
大切にしていた自分像が壊れ、
愛していた誰かの中の自分が消える時、
私達は一度“死ぬ”。
だが、その“死”は再生の予兆でもあります。
ユングはそれを「個性化」と呼び
影(シャドウ)と向き合い、
心の深部に眠る無意識の声を聴くことで、
人は本当の自己へと近付く。
光だけを信じる者は脆い。
闇を抱き締めた者こそが、光を生み出せる。
折れた枝の中にこそ、新しい芽が潜んでいるように…
そして、折れることは、恥ではない。
折れたという事実が、あなたを“人間”にする。
心理学では「レジリエンス」という言葉があり
それは、逆境の後に回復し、より強くなる心の力。
だが実際の回復とは元に戻ることではないです。
変わりながら立ち上がることです。
かつてと同じではなく
より柔らかく、より深く
傷を抱えたまま、光を抱く存在になること…
金継ぎの器のように。
ひび割れたその線に、
金のような意味が流れ込む。
傷が物語となり、痛みが美へと昇華する。
PTG――心的外傷後成長という概念も、まさにそれを語る。
人は傷の中で崩れ
崩れた中で未知の価値観と出会う…
「なぜ自分が?」という問いが、
やがて「この痛みをどう活かすか」へと変わる時、
進化は始まっている。
強さとは、折れないことではなく、折れることを恐れない心。
柔らかさの中に潜む静かな剛さ。
それは心理的成熟の象徴でもある。
自我が硬直しているうちは人は他者の痛みにも鈍感です。
けれど、一度砕かれた人間は、
他者の崩壊を恐れず、寄り添うことができる。
その優しさは経験という名の哲学から滲み出る。
“折れる”とは構造の破綻ではなく再構成の瞬間。
そこにこそ「生=再生」という循環の法則が働く。
心理学的にも、生きることとは自己の再定義であり
神経生理学的にも脳は絶えず可塑性をもって新しい回路を作る。
傷ついたニューロンの間に新たなシナプスが橋をかけるように…
心もまた、傷を媒介として進化して行く。

──だから、生とは進化であり、進化とは再生です。
完成など何処にもない。
あるのは「変わり続ける美しさ」だけ。
私達は、何度でも折れ、何度でも生まれ直す。
涙はその度に流れ、
でもその雫が新しい命の種を潤している。
生きるとは…
壊れながら、なお光を求めること。
折れながら、なお手を伸ばすこと。
進化とは、
“強くなる”ことではなく
“優しくなる”こと。
「死=完成」ではなくて
「生=再生」であり「折れ=強さ」なのです。
そして今、
あなたの中でひび割れているその場所にこそ
次の命が芽吹いている。
それはまだ見えないかも知れない。
けれど確かに、
その痛みの奥で――あなたは進化している。
ひで坊 より
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「私は変わって行ける」と信じる力
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時代が進んでも心と脳の若さは、いつだって「自らの内に宿る春」から始まる。
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ひで坊 より
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